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【ディーヴァな土曜日】不完全さを肯定するポップスター、Ariana Grande

Ariana Grandeはニコロデオンのアイドル的存在として2013年にデビューして以降、紆余曲折ありながらも実に珍妙なキャリアを歩んできた。そんな彼女はいまや最も重要なポップスターの一人である。単純に記録だけを見ても、先日リリースされた最新作『thank u, next』からの3曲がBillboard Hot 100でTOP3を独占するというThe Beatles以来の快挙も成し遂げている。 Ariana Grandeは他のポップスター達とは一線を画す、勇敢で、奇妙で愉快な、思慮深い人間味のあるポップスターである。この5年間、彼女は私たちに様々なことを教えてくれたが、その中で最も重要なメッセージは 「時に間違いを犯しても構わない。完璧でなくて良い。でも自分に正直であれ」 ということだった。 完璧を求められる女性ポップスター 女性のポップスターとして大成するには「完璧」でなければいけない、そう私たちは思い込まされてきた。それはMadonnaやBeyonceにしても、もしくは2010年代を代表するポップスターTaylor Swiftにしてもだ。常にヒット曲を出し続け、若々しいルックスを保ち、完ぺきなパフォーマンスをし、政治的社会的思想すべてにおいて尊敬できる行いをする「フルパッケージ」な存在であることがメインストリームで活躍する女性には求められてきた。もしも彼女たちがそこから一歩でも踏み外せば、途端に批判にさらされる。私たちはそんな例をいくつも見てきた。 そうしたフルパッケージなポップスターと一線を画すアーティストとしてRihannaが思い浮かぶかもしれないが、実は彼女こそ「完璧」なアーティストである。彼女には一切隙がない。「Rihannaを批判することで、逆にその人のブランドが傷つく、もしくは思考の浅はかさが露呈される」という次元にまで自分のブランドを構築してきたアーティストがRihannaである。では本当に「完璧」でなければいけないのだろうか。インディーでは、良いアルバムさえリリースできれば、完ぺきであることは求められない。メインストリームでの地位を確立したヒップホップ・アーティストにはむしろ完ぺきさが求められていない。その隙や弱さ、時に犯した過ちが逆にアーティストの魅力ともなり得る。 Ariana Grandeが2013年に、"T

論評:Justin Timberlakeは本当に黒人文化を盗用しているのかという問いに対する個人的見解

”白人アーティストが黒人音楽を盗用して利益を得ている”という批判は、これまで多くなされてきたものである。日本にいると実感しづらい難しい繊細な問題であるだけに、日本でニュースとして取り上げられること自体あまり多くないのだが、決して日本も無関係な問題ではなく様々な意見や考察がなされるべきだと考え、個人的な意見や考えをここに示したいと思う。

あくまでもこれは私見である。何よりも私は黒人音楽や海外のポップ・ミュージックの専門家ではないし、評論家とも自認しておらず、あくまでも音楽好きの物書きからの視点としての意見を展開していく。正直に言うと、この記事を投稿すること自体が恐い。しかし、こうしてメインストリームの音楽の快楽部分を享受している身である以上、何も考えないというわけにはいかないと感じる。そういうわけで、あくまで問題提起に近いものとして受け止めていただければと思う。


Bruno Marsが黒人文化を盗用しているとするTwitterの騒動

まず私がこのような記事を執筆するに至ったきっかけであるが、まさに2週間前くらいに「Bruno Marsが黒人音楽の文化を盗用している」としてツイッター上で非難の声が上がるという騒動があった。

”プエルトルコ系の父と、フィリピン人の母を持つハワイ育ち”という、アフリカ系とは異なる出自でありながら、Bruno Marsはいわゆる”ブラック・ミュージック”というものを取り入れた音楽をメインストリームに発信し、成功を収めてきたアーティストである。元々彼のブレイクのきっかけが、B.o.Bの"Nothin' On You"での客演から始まり、様々なラッパーとのコラボによるものが起因していることも見逃せないが、特に最新アルバム『24K Magic』では、彼の愛する黒人音楽に敬意を捧げる作品という趣向が顕著にみられる作品だった。

彼が白人ではなく、アメリカにおけるマイノリティの人種であることも踏まえると、問題が多少異なってくるのかもしれないが、基本的にこうした非難の声に対して、Bruno Marsを擁護する意見が様々なメディアからなされている。

一方で、ライターであり、文化評論家のSeren Senseiは手厳しい指摘を行っている。「Bruno Marsは100%文化を盗用している。彼は黒人じゃない。全くもってね。そして自分の人種の曖昧さを武器にしてジャンルを跨ごうとしているの」と彼女は以下のビデオの中で語っている。
さらに彼女はこのような意見を展開している。「Bruno Marsはオリジナルなアーティストじゃない。Michael JacksonやPrinceがオリジナルなアーティストだったのとは違って。Bruno Marsがやってることっていうのは、すでに存在する作品から完璧にすべてをただ再生産して、当てはめてるだけなの」

一見、納得もできるこの意見であるが、ここで少し話を整理していこうと思う。


そもそも「文化の盗用」の定義とは

今回の騒動にあたって、使われているのが英語で"Cultural Appropriation"という概念なのだが、「文化の盗用」の意味で近年よく使われている用語である。

日本でも話題になった、「文化の盗用」で炎上した一番印象的な例でいえば、モデルKarlie Krossが米『VOGUE』で披露した「芸者スタイル」が挙げられる。

参照記事:カーリー・クロスが炎上謝罪  日本文化を盗用と指摘、米VOGUE誌で「芸者スタイル」披露 (The Huffington Post)

しかし、当の日本人にはあまりピンとこない出来事だったのも事実で(上の参照記事の後半でも書かれているが)、実際に文化の盗用だとは感じない日本人は多いのではないかと感じる事案でもあった。(同様の批判は、Katy Perryが2013年に行った着物風ステージでもなされていた)

日本のメディア「セレシー」では、"Cultural Appropriation"の定義について、「ある文化の一部を、その文化を保持していない者が搾取また制圧的に利用する行為」。この「ある文化」とは多くの場合マイノリティのそれを指す。としている。

今回の論評の主旨には関係ないので、Kylie Krossの件をどう評価するかについては触れないでおくが、こうした文化の盗用に関する批判が起こることについて、アメリカにおける「文化の盗用」という概念に対する批判的な意見をまとめたブログ記事があったので紹介させていただきたい。

参照記事:Cultural appropriation(文化の盗用/文化の簒奪)という概念に対する批判の雑なまとめ

Cultural appropriationという概念の基本的な問題点は、文化というものを固定的で硬直的なものと見なしていること、また文化を「所有者」が存在するものであるかのように扱っていることだろう。

この視点は今回の黒人音楽文化の盗用というトピックについて考えるうえで、重要になってくると思われる。


黒人音楽は黒人のためだけのものなのか

「Elvis Presleyが黒人からブルースを盗んだ」という言説を耳にしたことがあるかもしれない。もちろん、今となってはこの物言いが”正確ではない”ことを私たちは知っている。

Elvis Presleyが生まれ育ったメンフィスは貧しい黒人の労働者階級が多く、彼はそうした環境の中で黒人音楽を聴いて育ったというエピソードはあまりにも有名であるが、彼は黒人音楽を理解し、その文化を取り入れてロックンロールをメインストリームに持ち込んだ。さらに、彼は"R&B is just Rock & Roll"という言葉を残している。

人種差別が合法化されていた1950年代のアメリカにおいて、黒人音楽を白人に広める役割を彼が果たしたことは画期的なことであり、彼がいなければもしかしたら今日のような音楽の発展はなかったかもしれないということは度々指摘されている。一方でロックンロールは突然新しく誕生したジャンルではなく、元々あった様々な音楽が、異なる文脈や関わり合いを経て生まれたものであるということである。

この件では黒人音楽の中でも”ブルース”にスポットライトが当たっているわけだが、「ブラック・ミュージック」と聞いて思い浮かぶジャンルが、人それぞれいくつかあるだろう。

黒人音楽は、よく「即興音楽」と喩えられることが多いわけだが、それはニューオーリンズ発祥とされるジャズを語る上で、よく引き合いに出される言説である。これは、フリースタイルを行ってラップスキルを競い合うHIP-HOP文化においても見られることかもしれないし、それはソウル・ミュージックの分野でもいわゆる歌の上手いヴォーカリストの歌唱に見受けられることかもしれない。

しかし、こうして即興音楽が「黒人のもの」と言われるようになった理由については疑問も呈されており、当時のアメリカにおいて、主に人種主義的な理由で黒人が作曲家としてみなされず、即興演奏家としてしか見なされなかったためという指摘がなされている。そしてその即興音楽が彼らなりのステイトメントになっていたということだ。

例えば20世紀初頭に、音楽家スコット・ジョプリンはオペラを書いたが、これを上演したいと思う白人企業家はおらず、彼自身も「ラグタイム」というジャンルを演奏して一生を終えたというエピソードがある。「ジャズ・ピアノの神様」と言われているアート・テイタムは、クラシック音楽家を目指していたにもかかわらず、黒人という理由だけでその門戸が開かれなかったために、仕方なくジャズの道を志したというエピソードもよく知られている。

さらにジャンルの話で言えば、「都会における隔絶」という黒人の経験と結びついた新しいジャンルであるHIP-HOPでさえも、その音楽性は様々な要素が組み合わさってできたものであるという見方がされている。そもそもHIP-HOPを生んだものとして、ドイツを発祥とする電子音楽グループKraftwerkの存在の大きさが指摘されている。Afrika Bambaataaが、Kraftwerkの"Trans-Europe Express"をサンプリングした"Planet Rock"を1982年に発表したことがシーンに大きな影響を与えたことは知っている人も多いかもしれない。



一方で、Tricia Roseは、『Black Noise: Rap Musicand Black Culture in Contemorary America』という本の中で、ラップとは白人との意思疎通を求めつつ、黒人の間の連帯感や共有知識を作り出してゆく表現形態である(安田昌弘訳『ポピュラー音楽入門』から引用)と論じていたりもする。それは黒人固有の所有物なのではなく、文化や文脈の中でコミュニケーションを経て生まれたジャンルだという考えである。


白人による黒人の「文化の盗用」

ここまで黒人音楽と呼ばれるものも、黒人の文化や経験をルーツに持ちながらも西洋音楽や白人音楽を融合させながら発展してきた物が多いこと、また音楽とはそもそもハイブリッドなものであるという見方を、歴史的事案と併せて紹介してきた。

では、白人が黒人の音楽の「文化を盗用した」と言えるのは、どういう時なのかを考えていきたい。(マイノリティの文化をマジョリティに属する人々が搾取するという事案に限定するため、あえて「白人による」と付けた)

印象的に思い浮かぶのが、The Beach Boysの"Surfin' USA"である。この曲はChuck Berryの"Sweet Little Sixteen"を改作したものなのだが、これは映画『ドリームガールズ』で「黒人の間で流行していた曲が、白人マーケット仕様に曲を勝手に(サーフミュージックぽく)改作され、大ヒットしてしまった」という事案として象徴的に描かれている。(ただ、実際には"Sweet Little Sixteen"も、全米チャートで最高位2位を記録しており、マスで大ヒットした曲である)





Elvis Presleyは「黒人音楽への理解が深く、さらに黒人音楽を白人にも広めたのが大きな功績」と称えられているわけだが、これとThe Beach Boysの事案はどう異なるのだろうか。もちろんメロディーを盗むこと自体は「盗作」だと言うことができるが、それは今回置いといて、(The  Beach Boysの)Brian Wilsonはそれだけでなく、その黒人音楽の雰囲気を白人に迎合するような形で改作しているという点に着目したい。なぜなら、”白人に広めた”という意味ではThe Beach Boysも同じようなことをしてはいるのである。

そもそも「黒人音楽の理解が深い」というのは、「実際に生活の中でそうした黒人の生活や文化に触れてきた」ことを指すのか、そうした音楽を「常日頃から聴き続けて共感してきたこと」を指すのかが定かでない。その愛の深さに関しても、その度合いに対する評価は人によってバラバラであり、絶対的な基準は存在しないのだ。「聴けばわかる」という意見もあるだろうし、私自身そう思う時はあるが、これも客観的な評価とは言い難い。

もちろんそこには歴史的文脈や、その人物の発言や生い立ち等、様々な要素が複雑に絡み合ってくるのは事実である。実際に白人から音楽を搾取されたことで、経済的な成功を収めることのできず不遇の人生を送ることになった黒人ミュージシャンも多くいることだろう。


白人と黒人の音楽の相互依存関係

白人ラッパーの象徴的存在であるEminemは、今でこそレジェンドとみなされているが、幾度となく論争が巻き起こってきた象徴的存在である。Eminemはこれまで「黒人の音楽」とみなされていたHIP-HOPの世界に真正面から切り込んでそのジャンルのアーティストして成功したアーティストである。彼の音楽が黒人からも認められた理由として、その過酷な生い立ちが共感を呼んだからだと言うこともできるかもしれない。

Eminemは実際に、アメリカの歴史上でも稀に見る大ヒットアルバムを連発した。悪く言えば、相当稼いでいた。そのために多くの批判にさらされてきたが、しかし一方で彼が活躍したからこそ、Dr. Dreはさらにメインストリームで大きな影響力を持つ音楽プロデューサーになったし、他の黒人ラッパー(50 Centはもちろんだが)はそのムーブメントに乗っかることができ、ヒップホップ業界全体が盛り上がっていくこととなった。

一方でEminemのファンは貧困層の白人男性が多いという指摘があり、Donald Trumpの支持層とも被っているのではないかという考察もされている。それもあってか、彼はDonald Trumpを痛烈に批判するラップを昨年行っており、そこに線引きをしていたりもする。

関連記事:エミネム決死のラップ ──ドナルド・トランプ大統領批判でファンがいなくなる!?(GQ Japan)



そうは言っても、白人と黒人の音楽が常に密接に関わってきた事実は認めざるを得ないだろう。レゲエの音楽的要素を取り入れた白人の伝説的パンク・ロック・バンドであるThe Clashは、ただその独特のリズム感などを取り入れるだけでなく、左翼的な政治姿勢を持って発信することで、黒人アーティストからの支持も得ていた。社会や政治的な怒りをラップに昇華した黒人のHIP-HOPグループであるPublic Enemyもまた、The Clashからの影響を公言している。

かたや21世紀には歌姫Britney Spearsが、"I'm A Slave 4 U"でPharrell Williams(とChado Hugoによるプロデューサー・ユニットThe Neptunes)を起用し、HIP-HOPシーンで主に活躍していたプロデューサーを「白人アイドルポップ」というジャンルに招致している。この曲自体は大きなヒットとならなかったもののその功績は大きく、Pharrellは白人中心だったポップ・ミュージック界をどんどん変革していき、ジャンルの垣根を越えて様々な大ヒット曲を生み出していくことになる。

そしていまや、こうした黒人プロデューサーが白人ポップアーティストの曲を手掛けるという風景は普通のものとなりつつある。もちろんこれは、白人のアーティストが大きな利益を手に入れてしまうという点で「文化の盗用」という指摘をすることも可能かもしれないが、黒人ミュージシャンが受ける恩恵の大きさも計り知れないものがあるのだ。


歴史的黒人ヒーロー映画の音楽を手掛けた白人音楽プロデューサー

映画の歴史にも残るだろうと早々と称賛されている、黒人が中心のキャストを務める『ブラックパンサー』という映画が今年公開された。この映画のためにはサウンドトラックが2種類作られており、一つはKendrick Lamarが製作を行ったアルバムなのだが、本編ではほとんど存在感がないといってよい。

実際に映画で使われているのは『Black Panther (Original Score)』になる。このスコアは、アフリカ音楽から影響を受けたサウンドとなっており、映画でも印象的な使われ方をしている(もちろんこの映画は架空の国を舞台にしているので、完全にアフリカ音楽なわけではないが)。



このサウンドトラックを手掛けているのが、スウェーデン出身のLudwig Göranssonという音楽プロデューサーである。『ブラックパンサー』の監督であるライアン・クーグラーのこれまでの作品『フルートベール駅で』や『クリード チャンプを継ぐ男』の映画音楽も彼が手掛けている。

黒人監督による黒人キャストを前面に押し出した映画でありながら、サウンドトラックを手掛けているのは、実は白人であるという事実をどれくらいの人が知っているのかは知らないが、そのことを問題にして批判しているのもほぼ見かけない。しかも彼は、Gファンクを積極的に取り入れたDonald GloverことChildish Gambinoのアルバム『Awaken, My Love!』でも共同プロデュースを務め、大きな貢献をしている。

彼のインタヴュー記事は当ブログでも以前紹介しているが、彼は小さい頃はMetallicaやギターのインスト音楽を好きで聴いていたことを明かしている。

関連記事:『ブラックパンサー』手掛けるプロデューサーLudwig Göransson、Childish Gambino『Awaken, My Love!』の製作を語る

一方で彼はChildish Gambinoとのアルバムの制作にあたって、たくさんのGファンクを勉強したことも語っているし、この『ブラックパンサー』のサウンドトラックの製作にあたっても同様、1ヵ月間セネガルに行ったことを『Pitchfork』に明かしており、そこでアフリカ音楽を学んだことを明かしている。

彼は決してルーツに黒人音楽を持っているわけではない(そもそもポップミュージック大国スウェーデン出身である)が、その音楽に最大限の敬意を払い、熱心に勉強して、「まるで黒人のような音楽」を奏でている音楽プロデューサーと言えるだろう。

この場合は黒人音楽の中でもさらに、アフリカをルーツにする音楽となるのだろうが、それを独自に解釈して、”アメリカの黒人映画のために”使用することは文化の盗用に含まれないのだろうか?


白人ミュージシャンからの影響を公言する黒人ミュージシャン達

一方で現代の音楽シーンを見渡すと、特にHIP-HOPシーンが活気づいている今、多くの黒人アーティストが活躍している。この若い世代においては自分の音楽的な影響として黒人以外のアーティストを挙げる人物も多いように感じる。

例えば、アンダーグラウンドのシーンからDrakeにフックアップされ、いまやメインストリームを代表するポップスターとなったThe Weekndはカナダ人なのだが、彼自身はR&Bの影響はそれほど強くないと語っている。彼のジャンルはアンビエントR&Bと称されていたが、そこにはトリップホップやアンビエント、ダブステップなど様々なジャンルが融合されている。そして彼は、「14歳でPink Floydに恋に落ちた」と語るほどのPink Floydの大ファンである。

一方で、現在飛ぶ鳥落とす勢いで活躍している新進ラッパーで、「エモHIP-HOP」と称されることもあるLil Uzi Vertは、自身の最大の音楽的なインスピレーションは、ParamoreのHayley Williamsであると公言しており、さらにMarilyn Mansonへの愛も明らかにしているほどのロック好きでもある。

前述したように、Public EnemyもThe Clashからの影響を公言していた。また新進の女性R&BアーティストであるTinasheはBritney Spearsの大ファンであるし、BeyonceもKings of LeonやColdplayの音楽への愛を度々語ってきた。



そして昨年、HIP-HOPシーンを賑わせたことと言えば、Joe BuddenによるMigosやLil Yachtyへの猛烈なディスが挙げられる。特にLil Yachtyに対しては、「ヒップホップじゃない」と批判し、「ヒップホップを搾取している」とまでJoe Buddenは語っている。

関連記事:Joe BuddenがLil Yachtyを「ヒップホップカルチャーを台無しにしている」と批判。Yachtyは「らしい」やり方で対抗(FNMNL)

もはや人種の観点なくして、黒人同士でもこのような「ジャンル」に対する意見の相違が出てくる事態となっている。

長々と語ってきたが、以上を踏まえると文化全般に関して言えることではないが、こと音楽に関してはCultural appropriationという概念の脆弱さが浮き彫りになってくるのではないかという気がする。ある一つのジャンルは、直線的に発達したものではなく、様々な文化や文脈の中で育っていったものであり、まして「所有者」(今回の場合はブラックミュージックの所有者としての黒人)が存在するものではないのではないか、というのが私の見解である。

もちろん、そこに「明らかに重大な文化の搾取」があるのならば話は別であるが、その判断基準もかなりグレーゾーンがあり、論理的に納得のいく説明ができるものは現代においてそう多くないのではないだろうか。またこれを、そのまま人種問題やマイノリティの問題と結びつけて考えていいものなのかも疑問が残る。こうした音楽のジャンルに人種やジェンダーを結びつけて考えること自体が、マイノリティをある一定の枠に閉じ込めてしまうことになるのではないかという懸念もある。そして、そういう考え方は逆に人種や文化に溝を作ってしまう危険性すらもあるのではないだろうか。

では、最後にBruno Marsの「文化盗用」騒動に関する見解、そして(実は)この記事の主題であるJustin Timberlakeの「文化盗用」騒動に関する見解を示していきたい。


作詞作曲を、黒人ミュージシャンらと共に手掛けるラテン系Bruno Marsの場合

そもそも今回Bruno Marsが標的とされてしまった理由が、「グラミー賞で主要部門受賞が有力視されていた黒人ラッパーのKendrick Lamarをことごとく打ち破り、アルバム賞までBruno Marsが受賞してしまった」からという側面が大きいのだと思う。これに関しては言うまでもなく、批判されるるべき対象はBruno Marsではなく、黒人アーティストやHIP-HOPというジャンルそのものを冷遇してきたグラミーの体制であり、Bruno Marsを攻撃することは的外れであると同時に、何の解決にもならないだろう。

そういう意味で、今回のBruno Marsへの批判自体がまず論理的でないように思う。さらに、冒頭で示したSeren Senseiの指摘も間違いとは言い切れないが、明快なものでもないように感じる。そもそも「オリジナル」の定義は何なのか。そしてなぜ比較の対象が、白人の音楽も柔軟に取り入れることでメインストリームで大きな成功をおさめ、すでにレジェンドとしての評価が確立しているMichael JacksonやPrinceなのだろうか。彼女の主張は不公平なものに感じてしまう。

また、「すでに存在する作品から完璧にすべてをただ再生産して、当てはめてるだけ」という指摘に関して、確かに彼は最新作では意図的に、これまでの音楽に対するオマージュを捧げている。ファーストシングルの"24K Magic"は、70年代のディスコやファンクのキラキラ感をそのまま取り入れているし、"That's What I Like"は80年代終わりのニュージャックスウィングや、ヒップホップ・ソウルの影響を感じる。



これに関して外国のメディアからの擁護は、「Bruno Marsはこれまでも黒人音楽への愛を度々語っていた」といったものに終始するものが多く、これも確かに正しいと思うのだが、最も重要なのは「いまやメインストリームでは全く売れてないジャンルに再び光を当てて、それを大ヒットさせた」ことがポップカルチャー全体にとって有益なことであるという点だと私は考えている。

もちろんBruno Marsを聴く人々の誰もが、彼のルーツを掘り下げて、今まで聞いたことのなかったニュージャックスウィングを聴くみたいなことにはならないかもしれない。しかし、確実にその「きっかけ」を作り、門戸を広げたことはブラックミュージック・シーンにおいても利益になるのではないだろうか。また、そうでなくてもシーンの活性化には繋がっていくはずだ。

また、Bruno Marsの曲のプロデュースは主に、自身も所属するソングライティングループThe Smeeingtons改めShampoo Press & Curlによるものであり、このメンバーには黒人のPhilip LawrenceやBrody Brownが含まれている。彼らのサポートがありながら、Bruno Marsが「黒人文化を盗用している」とまで断じてしまうのはやはり疑問である。

また、Bruno Marsは元々所属していたレーベルからラテン音楽をやるよう言われた過去もあるそうだが、ラテン系だからと言ってラテン音楽をやる必要はないし、黒人のシンガーでもJason Deruloのようにかなりポップな路線で成功を収めたアーティストだっているのだ。このような多様性を尊重することこそが、今の時代に重要なのではないだろうか。

関連記事:ブルーノ・マーズはなぜマーズ=火星と名乗ったのか?大和田俊之さんのブルーノ解説!


黒人音楽プロデューサーと共に数々のヒット曲を生み出してきたJustin Timberlakeの場合

Justin Timberlakeは元々'N Syncという超人気アイドルグループのセンターを務めていたことは有名だが、Britney Spearsと同様、そのグループの活動の後半ではThe Neptunesを迎えるなどアイドルポップの枠にとらわれない音作りをするようになっている。

その後、Justin Timberlakeはソロデビューを果たし、デビューアルバム『Justified』ではThe NeptunesとTimbalandを主に迎えてHIP-HOPやR&B色を前面に押し出した作品(そこにはMichael Jacksonがボツにした曲も含まれている)を制作し、見事大成功を収める。さらにセカンド・アルバム『FutureSex/LoveSounds』では、TimbalandとDanjaとの3人のほぼ共同作業で全編を統一し、前作を上回る成功を収めることとなっている。

ブラックミュージックを大胆に取り入れることで、偉大なキャリアを築いてきたJustin Timberlakeだが勿論、そういうことへの批判はこれまでも度々起こっている。特に2016年、ツイッターでの対応に失敗した(実際上から目線の態度ではあった)Justin Timberlakeは「文化の盗用」をしていると大きな批判にさらされていた。

関連記事:ジャスティン・ティンバーレイク、BETアワードへのコメントでツイッターが大炎上 (TVグルーヴ)

しかしここまでの立場からすると、Justin Timberlakeは「白人だから」という理由だけで黒人文化を盗用し、搾取しているとまでは言えない。さらに彼の場合は黒人の音楽プロデューサーが、商業的な理由ではなく「彼のために」アルバム一枚丸ごと音楽の製作を行っているのだ。しかも、彼をプロデュースした後のTimbalandは第二の黄金期を迎えていたし、片割れだったDanjaはその後メインストリームでたくさんのヒット曲を生み出しており、全員にとって利益が生じていたように思う。

さらにJustin Timberlakeの人気に便乗をして多くの黒人アーティストがコラボレーションをし、曲をヒットさせていることも忘れてはならない(Snoop DoggとCharlie Wilsonとのコラボ"Signs"から始まり、50 Cent"Ayo Technology"、T.I."Dead And Gone"、Ciara"Love Sex Magic"、Jay-Z"Holy Grail"など)。

彼が2016年に炎上したのは、元々Janet Jacksonの乳首を全国放送で流失させてしまった事件や、自身を批判したPrinceに対し"Give It To Me"という曲の中で反撃したという前科があること、また2015年にスウェーデンのプロデューサーMax Martinとともに突然ポップソング"CAN'T STOP THE FEELING!"を大ヒットさせたことなどが原因にあるのかもしれない。



しかしその結果なのか、彼は今年リリースした新作『Man of the Woods』で、いわゆる保守的な”白人の音楽”と考えられているカントリー音楽を取り入れた作風に、音楽性が変化している。これがたまたまなのか、「黒人文化の盗用」との批判を受けてのことなのかはわからないが、ある意味守りの姿勢に入っており、「白人のルーツに立ち返っている」と言えなくもない(プロデュースにはこれまで同様TimbalandとDanjaが関わっているほか、Pharrell Williamsの名前もある)。これが本当に彼の進むべき正しい道だったのだろうか?

関連記事:Justin Timberlake、"Say Something"は「誤解」による2016年のツイッター炎上から生まれた曲だと発言

とは言っても、彼は醜悪な新曲"Supplies"で「人種差別や女性差別をちゃんと理解してますよ」という安易なアピールをしているので物事がややこしくなるのだが。それでも彼が黒人音楽を愛しておらず、搾取しているということにはならない。これが私の見解である。





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